2002年03月04日(月)

『立って、父のところへ行って、こう言おう。「おとうさん。またあなたの前に罪を犯しました。』(ルカ15・8)


放蕩息子の心はすでに父親を離れていて、財産を要求
した。遠いところへ行き、そこで身を持ち崩し財産を
使い果たした。悪い事に飢饉が来て、食べる事に窮し
た。金の切れ目が縁の切れ目と皆、彼の周りから離れ
て行った。豚を飼い、その餌を食べたいと思った。
人間は順境の時は、自己中心に生きやすい。
苦難に会い、絶望する時に神を求める。財産に頼って
生きてきたが、頼るべきものは金銭でも周囲の人々で
もなく、自分自身でもないことに気付いたのだ。
父の家を出るとき、彼の心を支配していた思いは「自分」
「我」だった。自分を生かし、自己実現していけると思
った。ところが「物」に支配されて挫折していった。
私達はこの「自分」をすべて神に明け渡し委ねる信仰によ
って生きる事ができる。イエスと共に死ぬことで、「物」
でも「自分」でもない新しい歩みに生きる事ができる。