2014年03月03日(月)

イエスは彼に言われた。『起きて、床を取り上げて歩きなさい』」ヨハネ5:8



38年間、病気で伏せっていた男性に、「イエスは彼が伏せっているのを見」主の方から、目を留められた。そして「よくなりたいか」と問われた。彼は、真っ直ぐに「よくなりたいです」と答えたのではなく、介助者がいないから、ずっとこのままだと、介助者がいないせいにした。確かに、彼には誰も助けてくれる人がいなかった。孤独な人生だったことだろう。彼の過去も、思いも、嘆きも、何もかもご存じで、主は御声をかけられた。

そして「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と命じられた。38年間、人のせいにし、自分はかわいそうと、自己憐憫の中にいると、そこは楽で居心地良くなって来る。むしろ働いて社会生活を送るのは大変だ。しかし、そのような床を捨てて、起き上がって、歩み出せと言われた。「よくなりたいか」の主の言葉は、彼の現実を照らし出した。

「よくなりたいか」ということは、よくはない現状だ。「起きて、床を取り上げて歩け」この言葉を信じて、一歩を踏み出さない限り、癒しはない。彼は、御声を受け入れ、信じたからこそ、起き上がろうとした。すると、主から力が臨んで、起き上がる事ができた。すぐに直って、床を取り上げ歩き出した。

私たちにも、彼と同様に、慈しみと愛のまなざしが注がれている。私たちの過去、弱さ、傷、すべてをご存じで、「よくなりたいか」と、御声をかけて下さっている。自分が依存している、取り上げるべき「床」は何だろう。
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思い煩いながらもそこから再スタートできない執着の「床」があるだろうか。そこを認めて「よくなりたいか」の主のお言葉に呼応することだ。そこから立ち上がり、主による新しい光や風をうけよう。