2015年04月03日(金)

「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し・・」Tヨハネ1:8




ある女性の証しだ。小さい時から親に言われるまま頑張って勉強し、
習い事もし、優等生の良い子で過ごして来た。周囲からもほめられ、
自分でも真面目な良い子、立派な人間だと思っていた。そんなある
時、親しい友人に教会に誘われ、一緒に行った。教会では、聖書か
ら「罪」ということを繰り返し教えられるが、一向にわからなかっ
た。

自分は良い子で、皆にも良い子と言われ、非行になど走った事はな
い。通い続けていたある時、学びが放蕩息子の箇所だった。だが、
その放蕩息子ではなく、兄息子がまさに自分の事であり、そのまま
自分にピッタリ重なることに愕然とした。弟を軽蔑し、見下し、そ
れを受け入れる父親に不満を爆発させる。決して誰にも見せない
自分の姿だった。

顔ではニコニコしながら、実は出来ない子を見下し、軽蔑していた。
自分は正しく、立派で、心の中で、不良たちを裁いていた。しかし
心の中は、常に満たされておらず、怒りや不平不満でいっぱいだっ
た。突然、御霊の強い光によって自分の姿があらわにされた。初め
て罪がわかった瞬間だった。

プライドの高い、高慢な人間、虚栄心は強く、心底自分は罪人であ
った。いつも聞いていた主の十字架が、まさに自分のためであると
初めてわかった。心からの悔い改めが与えられた。御霊は、罪につ
き、十字架につき、わかるように教えて下さる。悔い改めに導いて
下さる。
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罪はいつも御霊により明らかにされる。示された事が感謝で、自覚
のない罪はどれだけ重ねているだろう。示されながら悔い改め、ま
すます主に近くおりたい。