2015年06月04日(木) 「アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので・・ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった」使徒16:6
「アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので・・ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった」使徒16:6
私たちが主の導きを求める時、「環境」をよく見て行くことは重要 だ。パウロが二度も環境によって、行く手を阻まれた。「アジアで みことばを語る事を禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤ地方を通 った」ビテニヤに行こうとしたが、ストップがかかったので、トロ アスに下った。東から来て、2方面閉じられたので、残る西方面に 向かった。 阻止された理由は、神のご計画が、ヨーロッパ宣教にあったからだ った。もし御霊の阻止がなければ、御心と違った方向へ向かってい ただろう。私達にも神のプランがあり、時に行く手にストップがか かる。自分には志があるが、しかし門が開かれず、状況が整わない なら、それは神の御心ではない。入試が、就職試験が、不合格なら 神の御心でない。 「ノー」が神からの答えであり、御心は別の所にあるという事だ。 しばしば私達は、ストップがかかると、導きを失ったと勘違いし、 道に迷ったような不安、心細さを感じる。しかしそうでなく、そこ が御心ではないという「導き」だ。次の導きを「待て」ばよい。環 境の開き閉じによって、導きを知れる。 門が開かれたならその方向に進んで行けばよい。御心の門は、目の 前で、ひとりでに開いて行く。神が開かれる。自分でたたき割り、 こじ開けて進むのではない。必ず目の前で門が開かれて行く。御言 葉、祈りによる平安と共に、状況をよく見ていよう。 ----------- 祈って向かった先が閉ざされたなら、すっかり迷子になったように 思うが、主は近くおられ「ノー」と示してくださった。いたずらに 落胆せず、心の向きを変え次の導きを待とう。