2015年11月03日(火)

「主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた」イザヤ61:1




人は皆、天に帰るまで肉の性質があり、罪赦された罪人だ。その
ためどうしても罪を犯してしまう。対人関係で、気づかないで、
人を傷つけてしまう。自分自身もまた、人から傷つけられる。そ
んな幾多の過去の傷があり、現在に至っている。その傷が心にあ
る時、素直に御言葉を受け取れない。ブレーキがかかってしまう。

信じて大丈夫なのか。本当なのか。又、裏切られるのではないか。
頭では御言葉を聞いているが、心の奥で、実は受け入れていない。
拒否している。頭では、信じているつもりだが、心の奥では愛を
信じていない。信じているつもりなので、その事に気づいていな
い。だから、神の愛がいまいちわからない。実感が無い。

又、御言葉を素直に受け取っていないので、「信じる者に働く神の
すぐれた力がどのように偉大なものであるかを」信じることができ
ない。神の力を受け取れない。うすうす傷に気づいているが、ふた
をしているだろうか。何か、神がわからない、愛がわからないとい
う時、そのまま正直に祈って行こう。

その祈りに答えて、御霊が心の奥にあるものに気づかせて下さる。
傷があるなら、まず向き合い、その傷を認める事が大切だ。又、逆
に「傷ついた」「〃」と、「あの人、この人が悪い」というが、実
は問題があるのは自分だと気づかせられる。主は、心の傷ついた者
をいやすために来られた。その傷はいやされる。
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罪も傷もない振りをして通り過ぎようとするが、心に痛いみ言葉に
出会い、心の中を照らし出される。主は様々な苦しみに捕らわれて
いる者に解放を、悲しむ者を慰めてくださる。