2015年12月04日(金) 「私が何かを赦したのなら、キリストの御前で赦したのです。これは、私たちがサタンに欺かれないためです」Tコリント2:10
「私が何かを赦したのなら、キリストの御前で赦したのです。これは、私たちがサタンに欺かれないためです」Tコリント2:10
あなたも対人関係において、赦せない思いを経験した事があるだろ うか。傷つけられた相手に、怒りと恨み、憎しみ、敵対心で、心が、 がんじがらめになる。平安が無く、心は重く、苦しい。心に重い鉛 があるようだ。実際、苦しいのは傷つけた相手でなく、傷つけられ た自分なのだ。なぜ自分が苦しいのか。 相手には関係無く、自分が神に対して、怒り、憎しみ、恨みという 「罪」を犯しているからだ。「罪」から来る苦しみであり、心の辛 さだ。だが、明らかに非があるのは相手であり、自分は被害者、だ から相手が悪いから苦しいとしか思えない。ますます相手のせいに なり、相手を憎み、暗闇の中となる。 相手は悪いかも知れないが、相手を憎む自分は、「神に対して」罪 を犯している。その罪を悔い改めよう。その時、心が変えられて行 く。光の中だ。悔い改めにより、暗闇の牢獄から光へと出される。 ある人は、ひどく傷つけてくる相手が、嫌でたまらず憎しみで一杯 だった。しかし心は辛く苦しく悶々状態だった。平安は無く、苦し いばかりだった。 祈っていたある時、御霊により、結局自分はずっと憎む相手に縛ら れ、憎む相手にコントロールされているのだと気づかされた。苦し みから解放されたく、主に助けを求め、「赦します」と意志を向け、 決心した。赦す事を選び取った。その時、心が変えられ、平安が来 た。そして憎しみが失せて行った。心の重い鉛が消えた。 ---------- 相手が悪いから憎むのは当然の感情だと、憎み続けていることが、 当たり前だという思いにサタンが来ていないだろうか。確かに相手 は悪いが、私は罪を犯したくないとの立場にしっかり立とう。