2016年02月02日(火)

「だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前ででラッパを吹いてはいけません」マタイ6:2 




施しをする時、又、祈る時には、偽善者のようであってはいけない
と言われた。「偽善者」とは、「役者、俳優」のことだ。偽善者=
俳優だ。つまり演技をする者のことだ。俳優とは何をするのだろう。
俳優は、脚本家が書いた脚本の通りに、その人物を演じる。脚本の
通りに、監督が指示し、監督が演技指導をし、俳優は、そこに描か
れた人物を、監督の思いに従って、忠実に演技する。

それをいかに巧くやるかで評価される。その人物にいかになりきる
かが勝負だ。それは全く別人だ。偽善者とは、自分ではない人物を
演技することだ。それは「彼らは、人に見られたくて」とあり、人
の賞賛、評価を得るためだ。エデンの園で、アダムが罪により、神
から離れた時から、人は、人の愛情を求めるようになった。

人に認められたくて、目に見えない神ではなく、目に見える人を求
めてしまう。誰もがその弱さを持っている。人に愛されたくて、良
い人を演じる。それは自分ではない別人だ。嫌われたくないので、
人に気に入られる事しか言えない。これが偽善だ。俳優はわかって
演じている。

しかし、私たちは演じると、最初はわかっていても演じ続けると、
どれが本当の自分かがわからなくなる。これが一番恐い事だ。神は
あるがままの、素の私を愛して下さっている。すでに愛されている。
まずこの神の愛に浸って行く時に、自分が変えられて行く。
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人の評価は誰でも気になるが、素の自分と主との交わりが満つであ
れば、そんな自分が嫌だと主に告げることも出来る。人の中でどう
見えているかが、最優先だろうか。