2016年06月03日(金)

「私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか」マタイ18:33 




人生の大きな苦しみの一つに、「赦せない心」がある。人を赦せな
い事ほど辛く、苦しいものはない。心が真っ暗になってしまう。ど
んなに楽しい時も、その事が頭をよぎった途端、心は辛く、重苦し
くなる。楽しみがぶち壊しになる。ペテロが何度まで赦すべきかと、
主に問うた時に、7度を70倍するまでと言われ、主は、王としもべ
の話をされた。

6000億の借金の返済不可能なしもべを、王はあわれんで、赦し、免
除してやった。ところが、そのしもべが100万貸していた仲間を赦さ
ず、牢に投げ入れた。それを聞いた王は怒り、そのしもべを借金全
額返済まで投獄した。主の十字架により、無罪放免にされた。自分
はその大きな恵みを受けていながら、人を赦さないとはどういう事
なのだろう。

そして赦さない心は、牢獄の中だ。獄につながれ、暗闇の中で、が
んじがらめだ。苦しいのは相手ではなく、自分だ。主は、獄から出
して下さる。救って下さる。しかし、自分の側の意志と決意が必要
だ。罪の性質は、赦せないのではなく、決して赦したくない。主は
赦せるようにして下さるが、そうして欲しくない。

「自分にはどうにもできません」と主の御前に出よう。目の前の相
手を避けて、相手から逃げても、次の環境で、別の相手がいる。自
分が変わる事が御心だ。主は心を変えて、自由にして下さる。苦し
みの獄から出して下さる。まず「赦したくありません」と主に祈ろ
う。
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赦したくないので、赦せないところばかり並べ裁いているのではな
いか。主のあわれみと導きを信じ、明け渡せるように祈ろう。自分
自身も赦され救われた罪人だ。