2016年07月04日(月)

「おめでとう。恵まれた方。主があなたとともにおられます」ルカ1:28




普通、人が祈るのは、商売繁盛、家内安全、交通安全、五穀豊穣・
・、自分の思いが人生において成し遂げられる事だ。願いが叶えば
神に感謝し、そうでなければ不満噴出だ。神の御心を考えようとせ
ず、御言葉を求めようとせず、ただただ自分が中心の信仰になって
しまう。神の御心ではなく、自分の損得で物事を量り、選択、判断
してしまう。

まず神の御心は飛んで、自分にとって損か得か、都合良いか、悪い
か、自分を中心に置いてしまう。目の前に、事が起きた時に心はど
う動くだろう?まず自分の益を考え、払う代価を嫌がるだろうか。
その時、神の御心は抜け落ちているだろうか。又、御心がわかった
時に、どうだろう。自分の能力や信仰を考えて、尻込みするだろう
か。

しかしマリヤは、自分に十分な信仰があるとか、能力があるとか、
自分はふさわしい、自分にはできるから、自信があるからと、受け
入れたのではなかった。又、石打ち刑や、ヨセフとの結婚破綻、親
族や世間の思惑、様々な恐れと不安、戸惑いがあったろう。しかし
「主があなたとともにおられる」「神にとって不可能なことは一つ
もない」

の御言葉をただただ信じて「私は主のはしためです。おことばどお
りこの身になりますように」と、主に身を委ねた。私たちも、問題
は神の御心かどうかだけだ。「おめでとう」は「喜べ」の意味だ。
人生に神の御心が成される時が、私たちの喜びであり、幸せであり、
周囲にも主の栄光を現わして行く。
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自分の内に期待できそうな力が無いとすぐに無理!と尻込みする、
一見弱気、実はとても頑なで傲慢な自分を見る。想定内のことだけ
やるならどこに信仰があるだろう。自分を超え全く神に信頼する謙
遜さを祈りたい。