2016年09月03日(土)

「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば・・悪 人呼ばわりしていても、そのりっぱな行ないを見て、おとずれの日 に神をほめたたえるようになります」Tペテロ2:12



信仰者は必ず試練があり、苦しみを受ける。しかし自分の至らなさ
や欠点ゆえ周囲に迷惑をかけ、問題を起こすならそれは迫害でない。
信仰ゆえの苦難ではなく、信仰以前の問題だ。誰でも、人に失礼な
態度や言動をするなら、非難される。だが個人の落ち度でなく、キ
リストゆえに受ける苦しみがある。

今の私達なら、信仰ゆえに悪口を言われ、仲間はずれにされ、嘲笑
や無視の対象になり、理不尽な目に会う。しかし、キリストゆえの
苦しみなら恥じる事はない。かえって、その事のゆえに神を崇める
ようにと。そして忍耐が必要だ。苦難の時は忍耐を培われる時だ。
忍耐とは我慢の意味でなく、どんな状況下でも、神が必ず良くして
下さると信じて行く事だ。

この忍耐を働かせる時に成長して行く。ある青年が家族の反対に会
った。余りに辛く、家を出て教会へやって来た。「人がもし、不当
な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみを
こらえるなら、それは喜ばれることです。・・善を行なっていて苦し
みを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは神に喜ばれることです。
あなたがたが召されたのは、実にそのためです・・」御言葉を共に読
むと、「帰ります」と主に励まされ帰って行った。

主のゆえのものであるなら受け取ろうと、信仰的、前向きに変えら
れた。今、理不尽な中にあるなら、主は、立派に振る舞いなさいと
言われる。御霊の助けゆえに、そうできる。

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信仰のゆえに、不当な苦しみを受ける事がある。しかし、それをこ
らえる時に、主は喜ばれる。普段の対人関係の中でも、理不尽な事
があるかも知れない。完全に正しい方が、十字架にかかられた事を
じっと見つめる時、最大の理不尽であり、心が変えられて行く。