2017年01月04日(水)

「主の山の上には備えがある」創世記22:14



アブラハムは、神からの示しを受けて、生まれ故郷を離れ、父の家
を出て、旅立った。その時は75歳で、25年待ち続けて息子イサ
クを授かった。アブラハム100歳、サラ90歳で与えられた子供はど
んなに可愛かった事だろう。目に入れても痛くないほどだったろう。

後は、自分の余生を穏やかに平安に過ごせると思っていたかも知れ
ない。そんな中、「神はアブラハムを試練に会わせられた」。はっ
きりと「試練」とある。イサクをモリヤの山で、全焼のいけにえと
して献げよというものだった。全焼のいけにえとは、動物を焼き尽
くして神に献げるものだ。

最愛のイサクを?アブラハムの思いも感情も、何も記されていない
が、神に従うために、「翌朝早く」モリヤへと出発したとある。神
が「アブラハムよ」と呼ばれた時、「はい、ここにおります」と答
えている。「はい、従うために、ここにおります」が、神とアブラ
ハムの関係だった。

アダムは神の呼びかけに、恐れて身を隠した。私たちは「はい、こ
こにおります」と答えよう。イサクが「いけにえの羊はどこに?」
と聞くと、「神ご自身が羊を備えて下さる」と答えた。アブラハム
の信仰だった。実際、刀を取ってほふろうとした瞬間に、主は止め
られ、そして代わりの羊が備えられていた。

試練は必ず来るが、試練の時には必ず、「主の備え」がある。「主
の山の上には備えがある」、今年も試練を受け止め、試練と共にあ
る「主の備え」を信じて歩もう。
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新年おめでとうございます。年末には多くの励ましのメールを有難
うございました。本年もどうぞよろしくお願いします。お一人お一
人に主の豊かな祝福がありますよう祈りを込めて今年も配信させて
いただきます。栄光在主。