2017年08月04日(金)

「元気を出しなさい・・いのちを失う者はひとりもいません。失われるのは船だけです」使徒27:22


パウロはもう航海は危険だと主張したが、皆の意見は違い、クレテ
の港まで行って冬を過ごす事になった。それで出帆したところ、激
しい暴風に巻き込まれ、船はほんろうされた。積み荷を捨て、船具
まで捨てた。太陽も星も見えない日々が続き、身の危険が迫り、事
態は絶望的であった。最後の望みも断たれようとしていた。しかし
パウロは確信もって「いのちを失う者はひとりもいない。失われる
のは船だけ」と告げた。

神は、クリスチャン人生、失うものは何もないとは言われない。ヤ
コブも「私も、失うときには、失うのだ」と言っている。私達は信
仰生活で、様々失うものがあるだろう。「主は与え、主は取られる。
主の御名はほむべきかな」と言っている。しかし、様々な時に失う
事はあっても、必ず私達は主により御手の中に堅く守られ、信仰人
生を全うできる。

船を失う場合があるという事実を覚えよう。だが、必ず守られ、確
実に安全な島に打ち上げられることも覚えよう。いつでも得る事は
嬉しい事だが、失う事は辛く、痛手だ。しかし、振り返った時、あ
の時の、この時の様々な損失、それによって自分自身が練り鍛えら
れ、きよめられ、信仰が成長させられ、今の自分があるのではない
だろうか。

あの損失が無ければ、今の自分は無い。あの取り扱いによって、自
分は一段階成長できた。信仰人生、損失は必ず通るが、思いを遙か
に越えた結実に至る。船を失うことがあるが、いのちは守られ、豊
かな霊的祝福が与えられる。
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何一つ失わず変わらず、与えられることばかり求めているといつも
不安だ。失う時は失うのだの心意気で、次の一歩を踏み出したい。
主に明け渡せる事が何よりの祝福だ。