2017年09月03日(日)

「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してく ださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらな い」詩篇55:22 


ある人が、主の御心を確信し、海外留学に出た。それが様々想定外
のアクシデントがあり、次の学年に進む頃には、手持ち資金が底を
ついてしまった。必要は必ず与えて下さるはず、とにかく祈った。
各方面の奨学金も問い合わせたが、道が開かれず、「御心を信じて
来たのに、どうして?どうか与えて下さい」と、尚も祈り続けるが、
道は開かれない。

「なぜ?どうして?」焦りと思い煩いで一杯だ。しかし祈りに祈っ
たが、与えられず、道は閉ざされたままだ。すべてを委ねて、これ
が神のご意志と受け入れる決心をした。「自分は最後まで学びたか
ったが、この事を神の御心と受け止め、帰国します」と祈った。す
ると不思議に、イライラや、思い煩いで騒いでいた心に、すうっー
と平安が来た。

その直後、諦めていた奨学金が下りたとの連絡が入った。現地の友
人達が走り回ってくれていたのだ。結果的に、すべての学びを終え、
きちんと卒業し、帰国できた。主の取り扱いであった。教えられた
事は、御心なのだからと、御心を自分の力で行ない、自分で成し遂
げようと、自分が、自分がと必死になっていた事だった。

何もかも自分の肩にかかり、心に平安は全く無く、焦りと、イラ立
ちと思い煩いで一杯で、苦しくてたまらなかった。主は自分自身を
明け渡す事を望まれ、委ねた時に、平安が来て、そしてすべての必
要が満たされた。あなたも今、自分が、自分がと背負っているだろ
うか。委ねる事が必要だろうか。

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不安と恐れの思い煩いに沈む時に、ふと目を上げると、自分が、自
分が、と自分の肩にずっしりかかっているので、平安が無い事に気
づく。委ねることがなかなか難しい。だが出来ませんと祈って行く
時に、主が委ねられるよう、助けて下さる。