2017年10月04日(水)

「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」詩篇51:17



主が私たちを用いられるために、砕きを通される。聖書の様々な箇
所で学ぶ事ができる。ヤコブの息子ヨセフもそうだった。12人の
息子の中で、特別に可愛がられた。えこひいきだ。そのため、他の
兄弟たちはひどく妬み、ヨセフを憎んだ。殺害を思いとどまり、奴
隷として商人に売り飛ばした。

家族から離され、誰も知った人のいない異国の地へ。しかし、主は
そこでヨセフを砕かれ、練られ、訓練され、整えて行かれた。奴隷
から囚人にまで、波瀾万丈を経て、総理大臣にと立てられ、結果的
にヤコブ一族の命を救う事になった。紆余曲折の中でヨセフは砕か
れた。

モーセも王子として育ち、あらゆる学問を学び、文武両道、地位、
名誉、富、人脈、何もかもを持っていた。自分の力に満ちていた。
そのモーセは逃亡の末、荒野で羊飼いとなり、40年の歳月を過ごし
た。モーセは砕かれた。そんなモーセを主は大きな働きのために用
いられた。主は必ず器を砕き、へりくだらされ、身を低くさせられ
る。間に合う器に整え、用いられる。

しかしその時、自由意志を妨げられる事はない。強いられない。も
し従うならそのようにされ、拒むならされない。主の恵みの砕きが
ありながら、心を固くし、頑なになり受け入れない事もできる。そ
の時、ますます心は固くなってしまう。様々な痛い事態は、砕きと
受け止めよう。必ず一歩一歩成長を遂げて行く。
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主は長い時をかけて成長させてくださる。感情はまっ先に避けて通
れと言うが、御言葉を思い起こす時、問題は自分のためと受けとり
直せる。一歩一歩目の前の事に主を見て歩もう。