2017年12月04日(月) 「民はモーセにつぶやいて、『私たちは何を飲んだらよいのですか』と言った。モーセは主に叫んだ」出エジプト15:24
「民はモーセにつぶやいて、『私たちは何を飲んだらよいのですか』と言った。モーセは主に叫んだ」出エジプト15:24
モーセに率いられた民はエジプトを出た時、男子だけで60万人、 女子子供を入れると200万ほどだろうか。驚くべき人数だ。葦の海 から旅立ち、3日間、荒野を歩いた。彼らは水が見つからず、水を 探した。マラでようやく水を見つけたが、それは非常に苦くて飲め ないものだった。 そのいら立ちとつぶやきは、モーセに向かった。モーセの素晴らし いところは、民に向かわず、それをいつも主に持って行った事だっ た。自力でどうこうしなかった。モーセが祈ると、一本の木が示さ れた。それを水に投げ入れると、その水は甘くなった。その水は民 をうるおした。「その所で彼を試みられた」。 これはまた、民だけでなく、モーセへの試みでもあった。試練の中 で、主の御声に従うかどうかを試みられた。民はエジプトを出て、 そのまままっすぐに行けば、カナンまで2週間位のところを、あえ て荒野へと南下させられた。そして40年間荒野をさまよった。 これは、神が、民を様々な試みを通し、訓練し、整えるためであっ た。信仰を成長させ、整え、神に従って生きることを身につけさせ る、その歴史であった。私たちも同じように、荒野を通る。様々な 苦しい問題や悩みを通り、試され、砕かれ、練られ、鍛えられる。 そして信仰者として整えられて行く。 主に信頼し、御言葉によって生きる事を培われて行く。その荒野の 間、主はずっと天からマナを降らせられた。主に従うなら、必要は 必ず与えられ、満たされる事を見せられる。 -------------- 日々やって来る問題の中で、主に訴え、主に問いながら導かれる過 程こそ感謝だ。問題を通して神を見て右往左往している所から、神 を通して問題を見ていたい。それならどんな荒野も乗り越えていけ る。