2018年06月03日(日)

「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリスト の名によって父なる神に感謝しなさい」エペソ5:20


ある母親の経験だ。朝は、自分も出勤を控え、家族を送り出すのに
非常に忙しく慌ただしい。その時に子供が宿題をどこに置いたかわ
からない。どうしても、今日提出しなければならない。登校時刻が
迫って来る。母親も仕事に出なければならない。懸命に探すのだが
無い。

母親はイライラし、怒りが湧いて来る。いつも前日にちゃんと準備
するように言っている。「何で、昨日の内にちゃんと準備しないの
よ!」腹が立って仕方がない。時間が無い。その間も時間はどんど
ん過ぎる。子供は泣きべそをかいている。

だが「すべての事が感謝なんだ」と、ふっと頭をよぎる。この事も
感謝なんだと思う。しかし、一方では腹が立って怒りがおさまらな
い。心で子供を責め立てている。感謝なのだという気持ちと、同時
にいら立ちが交錯する。いよいよタイムリミットとなり、「神様!
この事態を感謝します!」と信仰を向けた。

すると、子供が「あった!」と叫んだ。思いもかけぬ所に置いてい
た。真に主を感じた瞬間だった。一見不都合な出来事の背後に、必
ず神の素晴らしいご計画がある。感謝する事は、その事柄に神を認
めることであり、信仰を献げることになる。

神はその信仰に働かれ、信じた通りになって行く。不信仰はすべて
の道を閉ざしてしまう。今、目の前に非常事態があれば「感謝でき
ませんが、感謝します」と信仰を向けよう。

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新しい性質と古い肉の性質があり、葛藤する。どうすればよいか御
霊は教えて下さる。しかし自我はどこまでも頑なで、それを拒む。
自分を通したい。「わたしを呼べ」と言われる主に「助けて」と
呼ばわろう。御霊の方へと助けて下さる。