2018年07月04日(水)

「イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである」ヨハネ6:6



私たちは、信仰生活で、様々な必要が生じる。金銭的、物質的必要、
体力的必要、霊的必要・・その時に、この目の前の必要は、本当に
満たされるのだろうかと、どうしても不安になるだろうか。主は空
の鳥を見よ、野の百合を見よと励まし続けて下さる。鳥は種蒔きも
刈り入れもしないが、神が養っておられる。

百合は働きも紡ぎもしないが、綺麗に装われている。ましてや愛す
る子供たちのために良くして下さらない事があろうかと。エリヤが
カラスに養われた箇所は有名だ。ケリテ川へ行けと言われるが、ど
うやって養われるのか、一見不可能に見える。しかし事実養われた。
川の水を飲み、カラスが食料を運んで来た。主に不可能は無い。

日照りで川の水が枯れた時、やもめ女に養わせると。どんな資産家
と思いきや、極貧の母子で、最後の食事をして死のうとしていると。
一見、養うなど不可能だ。しかし主は最後の粉をエリヤに差し出し
た彼女を祝福し、飢饉のまっただ中で母子は報われ、養われた。主
に不可能は無い。

出エジプト時に紅海を分けて、道を造られた主は、私たちの道なき
所、絶体絶命、断崖絶壁であっても、道を造る事が出来る。主に不
可能は一つも無い。今、四方八方手詰まりで、途方に暮れているだ
ろうか。主は目の前に道を造られる。主は解決を持っておられる。
主はすでに、“ご自分では、しようとしていることを知ってられる”。
ご計画をお持ちだ。目の前に道ができて行く。
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出来る訳がないなら信仰は何処にあるだろう。けれど出来る訳がな
いと流してしまう事は多い。圧倒的に無力であっても解決に向けて
祈ることはできる。そして主の解決を信じ応答していこう。