2018年10月03日(水)

「イスラエルは打ち負かされ、おのおの自分たちの天幕に逃げた・・神の箱は奪われ、エリのふたりの息子、ホフニとピネハスは死んだ」Tサムエル4:10



イスラエルの民は、とにかく主の契約の箱さえあれば、主はご自身
の契約を果たされるのだから、自分たちは敵から守られると考えた。
自分たちが契約に対して、全く真実でなかったとしても、契約の箱
がある限りは、大丈夫だと思った。しかし、そうではなかった。神
は民が偶像礼拝し、神から離れて行く時、彼らが敵に打ち負かされ
るに任せられた。

彼らは、御名のために、ご自身の栄光のために、神は自分たちを救
って下さるはずだと思った。自分たちが負けるなら、神の御名が立
ち行かない、御名が汚れる。だから必ず助かるはずだと高をくくっ
ていた。しかし、神は罪をあいまいにされたり、ごまかしたりされ
る事は決してない。何よりも聖なる方だ。

民は敵に打ち負かされ、天幕に逃げ帰り、疫病で歩兵三万人が倒れ、
契約の箱は奪われ、エリの二人の息子、ホフニとピネハスは死んだ。
徹底的な敗北だ。都合が悪い事はふたをし、おおい隠されるのでは
ない。敵の前にも隠されない。人間は勘違いをする。不祥事は証し
に悪いと、とにかく隠し、ひた隠しにする。

しかし敵の前で、民が敗北する事によって、神の聖さを現わされる。
神は聖いお方だ。キリストとベリアルは何の関係も無く、光と闇も
何の関係も無い。おおい隠す事によってでなく、敗北によって罪を
明らかにされる。聖なる方だ。そして悔い改めて歩む時に、大きな
恵みにおおわれる。
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かたちだけを整えれてばたばたと動き回れば、信仰そのものが空洞
化していく。気をつけよう。失敗は真に悔い改め、聖なる主と共にい
よう。それがいつでも最善で最強だ。