2018年12月04日(火) 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」伝道の書3:11
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」伝道の書3:11
神は、神のスケジュールを持っておられる。種蒔きの経験があるだ ろうか。良質の土に、まず種を蒔いて、水をやり見守っていると、 小さな芽が出て来る。その芽は時間の経過と共に、少しづつ伸びて 生長し、やがて花を咲かせ、そして見事な実がなる。植物の生長に も、神は時を定められ、時のスケジュール管理がある。 芽、茎、花、実と、神の秩序がある。「夜は寝て、朝は起き、そう こうしている内に、種は芽を出し育つ。どのようにしてか人は知ら ない」とある通りだ。もしこれを無視したらどうだろう。種から芽 が早く出るようにと、種に裂け目を入れたなら、又、早く花を咲か せたくて、茎を引っ張ったならどうか。種は、茎は死んでしまう。 神の時をじっくり待たないなら、返って損ない、出る芽も出ず、咲 く花も咲かず、実もならない。私たちの成長も同様だ。霊的成長に は必ず時間がかかる。長期戦であり、神のスケジュールは、非常に 地道な長期計画だ。悪あがきをせず、人生の苦しみ、喜び、悲しみ、 楽しみの、それぞれの「時」をしっかり受け入れ、受け止めて生き て行く事が大切だ。 「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のな さること」御言葉は、人生には順境も逆境もあると言っている。受 け止めて行く事こそが成長とされる。ダビデは「四方八方みな恐怖」 で出口も見えない苦難の時に、この「時」が、神の「御手の中」に ある事を見た。そしてそれらは、神の「時」にかなって導かれて行 った。 何の希望も見えない時も、この「時」は、愛の「御手の中」にある。 握っておられる、愛なる神に目を向けていよう。その時、神のなさ ることは、すべての事が、時にかなって美しいことを現実に体験し て行く。 ----------- 神は人の心に永遠への思いを与えてくださった。明日を知ることは できなくても、すべては神の御手の中にある。希望を持って今日を 十分に生きよう。