2019年03月04日(月)

「祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい」マタイ5:23




ある人が、主に在る友と話していて、議論になってしまった。議論
が高じて争いになり、言い合いになって行った。自分が正しいと主
張して行き、相手への攻撃になってしまった。気まずい思いでその
場は別れた。重い心で帰宅した。その日は奉仕の準備があったのだ
が、まず祈れない。平安が無い。

時間は過ぎるがどうにもならず、奉仕の準備など出来ない。とにか
くあるがままを祈る事にした。祈れないこと、平安がないことを正
直に、主に打ち明け祈った。すると心が照らし出された。やはり議
論になると相手を打ち負かしたい思いでいっぱいになり、負けたく
ないと思うこと、勝ちたい。

自分は正しい、相手は間違っていると思っているので、きつい言葉
が出てしまうこと、そこに愛もへりくだりも全く無く、高ぶってい
たこと・・自分の姿が映し出された。悔い改めに導かれた。悔い改
めた時に、重苦しく平安の無かった心が、変えられて、平安が満ち
た。そしてどうしても相手に謝りたいと思い、すぐ電話をして詫び
た。

実は相手も謝る事を示されていて、双方で主の御名を崇めた。平和
が戻った。その後、その奉仕の準備は御霊に力強く導かれて、素晴
らしい祝福の結実を見た。対人関係で平安が無いなら、祈ろう。そ
して和解が導かれているなら、仲直りをしよう。
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対人関係、心の内に怒りを隠したままでも外側は平然と付き合うこ
とが出来る。しかし、主はそうではなく和解しなさいと言われる。
主の前に正しく生きよう。まず相手のために祈ってみよう。