2020年07月04日(土)

「知恵の正しいことは、その行ないが証明します」マタイ11:18



私たちは、しばしば人を裁いてしまう弱さを持っている。しかし私
たちが人を裁くのは、相手が自分の思い通りでないからだと言われ
ている。自分の思いがあり、それに合わないので相手を非難すると。
つまりは自己中心によるものだ。

主は、当時の人々を、遊びをしている子ども達に例えられた。子ど
も達は、一緒に遊ぼうと他の子達に「呼びかけ」た。「笛を吹いて
やっても、踊らない」まず「結婚式」の遊びをし、楽しげに笛を吹
いたが、誰も踊らず相手にしなかった。それで次に「弔いの歌を歌
っても悲しまない」、「葬式」の遊びをした。これも誰も乗ってこ
なかった。そっけない態度だ。

それと同様に人々は、バプテスマのヨハネが、荒野でいなごと野蜜
で禁欲的な生活していると、彼はおかしくて「悪霊につかれてい
る」と言った。そして主が取税人や遊女の友となり、罪人と宴会の
席で、飲食していると、「食いしんぼうの大酒飲み」、「罪人の仲
間」だと言った。

結局、どちらでも批判し、何をしても非難した。つまりは自分たち
の思いがあるばかりで、自分の物差しに合わないゆえの批判だった。
そして自らの正しさを誇っていた。相手を公正に見て、受け入れよ
うとの思いなど皆無だった。だからヨハネも主も受け入れなかった。

その時に主は、「知恵の正しいことは、その行ないが証明します」
と言われた。どうこう釈明せずとも、必ず主の正しさは、その行な
いによって証明されると。そして「そのすべての子どもたちが証明
します」と。クリスチャンたちが証明して行くと。私たちが悔い改
めて、自分の思いでなく、御声に従って行く時に、主の正しさが証
明されて行く。

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いわれのない批判や非難に対して、主は、行ないが証明すると言わ
れた。誹謗中傷、無理解がある時には、いちいち反応せず、主を見
上げ、主の御心を行なって行けば良い。その結果、主が実を結ばせ
て下さって、結実により知恵の正しい事を、主が証明して下さる。