2021年03月04日(木)

「私は黙し、口を開きません。あなたがそうなさったからです」詩編39:9



ダビデは、苦しみの中で「なぜ、こんな目に会うのか」との思いで
いっぱいだった。しかし、舌で罪を犯してはいけないと、口には口
輪をはめた。だが、沈黙して抑え込んでいると、痛みは激しくなっ
て、今にも爆発しそうだった。鬱積の思いはそこにあって、抑え込
んでいるだけだからだ。

そこで自分の舌で、人にでなく、主に思いを吐き出した。気持ちの
洗いざらいを告げた。人生は、いかにはかなくて、虚しいかと。ど
んなに盛んであっても、全く虚しいではないかと。そんな虚しい人
生で、自分としては、何を待ち望めがばよいのか。そんな窮地の祈
りで、見上げた時に、神を見い出した。

「私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです」と。
私の望みは主ご自身だと。そしてことごとくを祈りに持って行った
後、「私は黙し、口を開きません」と言った。今度は、罪を犯すか
ら、口を開かないのでなく、「あなたがそうなさったからです」と、
主をそこに認めて、受け入れたからだ。

その前と異なり、信仰に立っている。すべての事に主の主権を認め、
主のご計画がある事を認め、それを受け入れている。人から受ける
苦しみも、信仰によって、それは主からのものと受け止めた。苦し
みの中にも、そこに主を認める時に、「あなたのむち」「あなたの
手に打たれ」と、信仰によって受け止めて行ける。

するとそこには意味があり、むちも、打たれる事も、豊かな祝福へ
と導かれて行く。今、起きている事を「あなたがそうなさったから」
と受け止めて行こう。その時、「私の望み、それはあなたです」と
主に向かって行ける。更に主を知る信仰の成長へと導かれる。
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自分の感情だけで時の流れを見れば、いつか爆発してしまう。苦し
みは主に告げよう。主は全き与え主だ、このことを通して成長の次の
一歩を待っていてくださる。