2021年05月04日(火)

「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉 の欲望を満足させるようなことはありません」ガラテヤ5:16



人は自分の非を、認めたくないものだ。心には、二人の自分がいる。
そして、あらがい戦っている。一人は「人は関係ない。罪を犯した
のは自分だ。自分の罪だ」と言う。しかしもう一人は言い訳し、弁
解し、あれこれ理屈をつける。「相手が悪い。相手のせいで、自分
はこのようにした。相手がそうしなければ、自分はしていない。自
分は悪くない」自分を正当化し、罪を認めようとしない。

一人の自分の内に、異なった二人の自分がいる。罪を認める自分と
認めない自分だ。しかしどんな中でも、主に従って行こうとの思い
がある時、主は強情な思いを砕いて、悔い改めへと導いて下さる。
人は本心では、罪がわかっている。しかし自我があり、プライドによ
り、素直に認められない。

人に注意されたらどうだろう。頭でわかっていても、ムッと感情的
になる。指摘されるとプライドが傷つき、反発し、心を頑なにする。
自分の内の古い性質であり、自我だ。しかし、それではいけないと
の思いもある。新しい性質だ。肉が改良されて霊になるのではない。
肉はどこまでも肉、霊は霊だ。

「肉によって生まれた者は肉。御霊によって生まれた者は霊」の通
り。私たちは、この二つの間にあって選択する。肉を選ぶか、御霊
を選ぶか、御霊を選ぶなら御霊の実を結ぶ。御霊の方を選べる
よう助けを求めて祈ろう。失敗した時は、悔い改め、〃前進して
行こう。

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御霊により、肉の欲はあるが、それを満足させないと言っている。自力
でなく、御霊によって歩む事が大切だ。そのために、自分自身を明け
渡して、御霊の示しに一つ一つ従って行くことだ。御霊の力が臨むの
で、助けられて、従って行ける。ゆだねられるよう、祈って行こう。