2022年04月03日(日) 「あなたがたがその聖絶のものを、あなたがたのうちから除き去る まで、敵の前に立つことができない」ヨシュア7:13
「あなたがたがその聖絶のものを、あなたがたのうちから除き去る まで、敵の前に立つことができない」ヨシュア7:13
ヨシュア率いる民がヨルダン川を、主の奇跡により渡った。目の前 に立ちはだかるエリコの城壁をも、主に従って行動すると、主が見 事に崩された。一方的な主のみわざだった。そして次にヨシュアは アイへ、偵察隊を遣わした。すると彼らは「二、三千人で大丈夫」 と戻った。 そこでヨシュアは、三千人を戦いに出したところ、何と敗北したの だった。驚くべき想定外の事実に、民の心はしなえ、水のように なった。勝利を疑わなかっただけに、衝撃であり、大きな動揺だっ た。 奇跡のヨルダン渡渉、奇跡のエリコ城壁崩壊は、大いなる神が共に おられる証拠であり、その事がヨシュアの拠って立つところだった。 そのため敗北の事実そのものが、それらをなし崩しにしてしまう。 主の御名はどうなるのか。周囲の敵の前で、この敗北はどうなるの か。敵は主の御名も、ヨシュアたちも、もう何ら恐れる対象では無 くなってしまう。 ヨシュアは、この深刻な重大な事態に「なぜですか」とひれ伏し祈 った。「大いなる御名のために何をされるのか」と。しかし「大い なる御名」こそが、この敗北を与えられたのであった。全能の神は、 同時に「聖い」神であった。「聖さ」に関心を持たれ、聖さのゆえ に、罪のあるところに働かれない。 聖く無い所では、敗北の方が、神の栄光が現れる事になる。妨げは 神の側ではなく、民の側にあった。神は罪を照らし出し、示し出さ れ、アカンの罪が発覚した。罪は主との仕切りとなる。すぐ主のも とへ行き、告白しよう。罪に真実に対応した時に、主は勝利を与え られた。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 私たちが御心をそれる時、主は、前進を止め、大いなる痛手を与え られる。考えさせられ、祈らされる。主のお心はどこにあるのかと。 そんな時は、主に問い、御心を尋ね求めよう。真剣に求める時、主 は示し、回復させて下さる。