2022年12月04日(日) 「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうす れば、そのとおりになります」マルコ11:26
「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうす れば、そのとおりになります」マルコ11:26
御言葉に次のようにある。「神を信ぜよ。祈って求めるものは、す でに受けたと信ぜよ、その通りになる」と。しかし次のように続く。 「立って祈っている時、誰かに恨みがあるなら赦すように」と、赦 しが強調されている。赦さない心は祈りを妨げ、しゃ断してしまう。 私たちはしょっ中失敗する。だが神は豊かに赦し続けて下さる。罪 を犯さないのでなく、罪は犯してしまうが、赦されて〃生きている。 ずっと赦され続けているのだから、私たちもまた赦すべきだと。恨 み憎しみがあると祈れなくなる。心にとがめがあり、主との間に隔 たりができ、確信もった祈りができない。ある人が切実な必要があ り祈っていた。幾ら祈っても答えが無い。その中、ある人の仕打ち に、根深い恨みが、心の奥に巣くっている事を示された。 これが妨げとわかり、悔い改めて、その相手を赦した。その後、見 事に祈りが答えられた。ある人は友人と言い争いになり帰宅した。 自分は悪くない、相手が悪いと思う。だが平安が全く無く、心が重 苦しい。御霊に探られ、示され、電話し、自分サイドの悪い態度を 謝った。すると相手も、同じ事を考えていたと言い、即、和解とさ れた。平安が戻り、喜びが湧いた。 赦さない心は、祈りを遮断してしまう。答えを受け取るために、密 かな恨みが、赦せない思いが潜んでいないかどうか、御霊に探って 頂こう。そしてあるがままの心を祈りに持って行こう。主は取り扱 い、助けて下さる。自分の心に責められなければ、大胆に御前に出 ることができ、求めるものは何でも主からいただける。豊かな祝福 にあずかれる。 ・・・・・・・・・・・・・ 主が、誰かに恨みがある事が、祈りの障害になると言われている。 沢山の証しにも接する。赦せない思いがある時、まず平安が無く、 確信持った祈りができない。御前に、恨みを悔い改める時、相手は 相手の問題であり、自分は平安にされる。