2023年03月04日(土)

「・・キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」T テモテ1:15



「マタイの福音書」を記したマタイは取税人であった。当時、ユダ
ヤはローマ帝国の支配下にあり、ローマに代わり、税金の徴収をし
ていたのが取税人だった。つまり、同胞から不当に余分に取り立て、
私腹を肥やしていた。そのためローマ帝国の手先と忌み嫌われ、裏
切り者と憎まれた。又、罪を犯しているので、平安や喜びはなく、
資産はあったが、決して幸せではなかった。

マタイは、人から蔑まれ、拒まれ、心に闇を抱え、寂しさと虚しさ
にいただろう。生きる意味も見い出せなかったろう。そんな時に、
主イエスがマタイを「ご覧になって」「わたしについて来なさい」
と声をかけられた。「すると彼は立ち上がって、イエスに従った」。
主が、そんなマタイの心の内も、境遇も何もかもをご存じで召され
た。

マタイは「すぐに」立ち上がって招きに応じている。迷いが無い。
大変な覚悟だが、マタイは、聖いお方が自分のような罪人を召され
た事に、どんなに驚いた事だろう。そしてどんなに嬉しかった事だ
ろう。そんな彼は、生涯主に従い通し、福音書を記す栄誉を受けた。
マタイは自分の事を「取税人マタイ」と言い、どんな所から救われ
たかを決して隠さず、むしろ明言した。

闇から光に入れられた、その恵みの大きさを、主の愛とあわれみの
深さを味わい知った。私たちも主が「ご覧になって」「わたしにつ
いて来なさい」と招いて下さったから、今がある。どんな所から救
われたのか、救われていなかったなら、どうなっていたのか、今一
度、覚え主に感謝を献げよう。

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罪を犯し、闇の中で、虚しく歩んでいたマタイは、どんなに驚いた
事だろう。主は、心の中をご覧になって、マタイが従う事もご存じ
であった。私たちも満足の無さ、寂しさがあればご存じだ。主が満
たして下さる。主のもとへ行こう。