2023年09月03日(日)

「神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だ れもいないのか。」ルカ 17:18 



主は、ある村で、10人のらい病人に出会われた。遠く離れた場所か
ら、大声で「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください。」と
叫んだ。人に近づくなら、「汚れている。汚れている。」と叫ばな
くてはならないからだ。彼らは、主の噂を聞いて、主に会いたかっ
た。チャンス到来で、力の限り叫んだ。すると主は、「行きなさい。
そして自分を祭司に見せなさい。」と。

その場でのいやしでなく、行く途中でいやされたとある。「行きな
さい」と言われた時は、彼らはまだらい病のままだった。だが、言
われた通りに、祭司に見せるために出かけた。すると、途上で、ら
い病がきれいにいやされた。今まで病気の苦しみだけでなく、社会
からも。宗教の関わりからも阻害され、生けるしかばねのようだっ
た。

彼らは、どんなに夢のような喜びだったろう。するとその中、たっ
た1人のサマリヤ人だけが、大声で神をほめたたえながら引き返し
て、主の足もとにひれ伏して感謝した。「立ち上がって、行きなさ
い。あなたの信仰が、あなたを直した」と。9人は、病が治る事が
すべてであった。だが又、病気にはなる。しかし、サマリヤ人の彼
は、病のいやしと共に、たましいの救いを受けた。

私たちもどうだろう。辛く苦しい試練では、困った時の神頼みで、
主にすがりつき、必死で助けを求める。だが、助けられた後はどう
だろう。まるで当たり前かのように、感謝も忘れ、主がおろそかに
なってしまう。「9人はどこにいるのか」、主が喜ばれる「感謝」を
精一杯お献げして行けるよう、祈っていよう。

・・・・・・・・・
「困った時の神頼み、楽しい時の神離れ」で、順調で問題の無い日
が続くと、主に頼らず、自分で生きてしまう。自分で生きて行ける
からだ。しかし肉は何の実も無い。主にとどまって、豊かな御霊の
実を結ばせて頂こう。愛、喜び、平安、寛容、親切・・。