2023年10月04日(水)

「ペテロは『きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知 らないと言う。』と言われた主のおことばを思い出した。彼は、外 に出て、激しく泣いた。」ルカ22:61



ペテロとユダは、同じく主を裏切ってしまった。だがその後が、天
と地ほどに違った。ペテロは、大好きな主を否むという、大々的失
敗をしてしまった。しかし信仰が無くなったわけではない。その証
拠に、激しく泣いている。ペテロは前もって、主から言葉を受けて
いた。「鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言う」と。

ペテロが主を否んだ時に、まだ言い終え無い内に、鶏が鳴いた。そ
の時に、主の言葉を思い出した。まさしくその通りになった。ペテ
ロは大泣きした。主がこんなにも大好きなのに、主を裏切るなどと
いうとんでもない、取り返しのつかない、ひどい事をしてしまっ
た。まさか、自分がこんな事をするなどと。

ごめんなさい〃、との叫びだったろう。ペテロは悔い改めた。しか
しユダは、悔い改めでなはなく、「後悔した」とあり、主のもとへ
行き、立ち返るのでなく、主ではなく、祭司長、長老のもとへ行っ
た。そこで、「知ったことか、自分で始末しろ」と言われ、自殺し
てしまった。

「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至らせる悔
い改めを生じさせるが、世の悲しみは死をもたらす」とあり、ユダ
は、主に立ち返るのでなく、世の悲しみであって、単に後悔しただ
けだった。ペテロはこの辛い経験により、人の弱さを思い知らさ
れ、罪人に柔和に向き合い、苦難にある人を慰める事ができるよう
にされた。大変な失敗であったが、主は尚も益として用いられた。
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自分の罪を認め、弱さを認めて主のもとに行ける。何という慰めだ
ろう。主の赦しを見ていなければ、自分のいたらなさしか見えず、
絶望しかない。主を見上げていよう。