2023年11月03日(金) 「しかし、主はこう言われた。『行きなさい。あの人はわたしの名 を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選び の器です。』」使徒9:15
「しかし、主はこう言われた。『行きなさい。あの人はわたしの名 を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選び の器です。』」使徒9:15
アナニヤは、ダマスコに住んでいた。当時、激しい迫害の中、キリ スト者はエルサレムからあちらこちらに散らされ、国外にまで散っ て行った。しかしユダヤ人たちは、彼らを徹底的に、どこまでも執 ように追った。青年サウロは、クリスチャンを捕らえるべく、大祭 司にダマスコの諸会堂宛の手紙を書いてもらった。その途上で、突 然天からの光を受けることになる。 一方、アナニヤは、迫り来る危機に、必死に祈っていた事だろう。 そんな時に、「アナニヤよ」と主の御声を聞いた。主からの御声に どんなに心強かっただろう。だが、その主の言葉は驚くべきものだ った。キリスト者に殺害の意に燃えて、迫害を重ねて来た、サウロ に会いに行けと。そして盲目になっている彼の開眼のために祈れ と。 アナニヤはとんでもない想定外の内容に、驚き、戸惑い、理解でき ず、彼は迫害者で・・と問うて行く。主は、彼は宣教のための選びの 器だと、行けと答えられる。アナニヤはどうだったろう。愛する多 くの同胞を殺害した相手だ。その相手を助け、祈れと言われる。 あのサウロが、本当に回心したのだろうか。そんな事があるのだろ うか。自分も殺されても不思議はない、命がけだった。それに本当 に主の御声なのか。聞き間違いでは?様々な思いがよぎっただろう か。しかしアナニヤは、主に従った。主はアナニヤをこのために選 ばれ、彼が従うことを知っておられた。 彼は、常々、御声に耳を傾け、主との交わりの中に生き、従い続け て来た弟子であった。私たちも普段の地道な、主との交わりを大切 にし、「主よ。ここにおります」と答えよう。 ------------- 主のご計画はいつも先行している。自分の思いで推し量ることは出 来ないが、主に示されたなら従いますの姿勢でいたい。不安も疑問 も祈りながら主の導きに従っていこう。