2024年04月03日(水)

「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」 詩篇23:2



その前の節に「主は私の羊飼い。私は乏しいことがない」とある。
別訳では、私は必要なものはすべて持っている、私は欠けるものが
何も無いとある。しかし欠け自体は、人生で幾らでも経験する。様
々な事が欠けて行く。親を見送って失い、愛する人々との離別、リ
ストラで職を失う。経済的困難で金銭に欠ける。年と共に体力に欠
けて行く。

欠けるものを見ていると、あれやこれやと欠けている。だがダビデ
はそうでなく、主に目を留めた。羊飼いの主、羊である自分。私に
は羊飼いが常に共におられる。小さな子どもは、どんな厳しい中で
も、親がいれば十分だ。そこは幸せで安心の場所だ。どんな境遇で
あろうと、親が一緒なら心は満たされている。

私たちもどんな時にも、羊飼いである主がおられる。ダビデは失っ
たものを数えたのでなく、与えられているものに感謝した。今、現
在すべての必要は与えられている。明日の心配は無用で、明日は、
また明日の必要を与えて下さる。羊は近視眼で、すぐ迷子になる。
しかし羊飼いが見守り、軌道修正し、正しい道へと導く。羊飼いが
いる限り、私たちは平安に歩める。

だが、しばしば私たち自身が羊飼いになってしまう。するとすべて
の重荷が自分の肩にのしかかり、不安、心配、恐れ、思い煩いで身
動きが取れない。羊飼いがおられる事が飛んでしまっている。今、
自分が羊飼いになっているなら、立ち返ろう。荷を主にゆだねて、
主の示しに従おう。その時緑の牧場で平安であり、いこいへと導か
れる。
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もし主を認めなければ、先の不安が押し寄せ、不毛な心配で一日が
終わってしまう。主が共におられる今を感謝して生きよう。備えら
れている恵みを待ち望み、生き生きとした信仰で歩んでいきたい。