2025年04月02日(水)

「主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、 むちを加えられるからである。訓練と思って耐え忍びなさい」 ヘブル12:6



信仰人生において、苦しみや悲しみ、悩み、問題は必ず来る。来な
い人はいない。懲らしめは愛だと言われ、それらを用いて、主は私
たちを訓練し鍛え、成長させて下さる。しかしその場合に、大切な
事は、試練として正面から受け取り、くびきを負う事だ。しっかり
負うと、それは負えるのだと。

だがくびきを嫌い、抜けようともがくと、首がくびきに締め付けら
れ、苦痛だ。そして苦しいのみで、何の益も学びも得られない。
ある人は苦しい事態に、ただただ頭をおおいうずくまっていたと。
祈る事も、主を求める事もせず、試練として受け入れておらず、た
だ流されるままだった。そのために、痛いだけと。今から、向き合
い受け入れて行きたいと。

苦難に際して二つの選択肢がある。一方は事態を受け入れ、信仰を
働かせて行く。他方は愚痴と不満で、屈折し反抗し、周囲をも責め
て行く。が、その結果、周囲に害毒を流し、証しを壊し、自分も平
安が無く、ますます怒りとうっ屈に向かう。だが主を見上げ、信仰
により試練を受け入れる時、そこに主が力強く働かれ、祈りが聞か
れ、多くの学びを得る。

試練の向き合い方で、天と地ほどに違って来る。過去のあの時、こ
の時、どうだったろう。信仰人生、今後も次々と試練が来る。私た
ちが救われたのは、問題の無い、平穏な生活のためではない。自我
が砕かれ、練られ、御子のかたちに変えられ、聖くされるためなの
だから。試練への対応を、自分では出来ないので、切に祈ろう。
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主は、その愛する者にとある。どうして自分だけがと思えるような
試練は必ずくるが、試練の中で対処の方法を間違えないようにした
い。弱いままで支えてくださる主を頼り、祈りながら歩もう。