2025年06月02日(月) 「ルステラでのことであるが、ある足のきかない人がすわって いた。彼は生まれながらの足なえで、歩いたことがなかった」 使途14:8
「ルステラでのことであるが、ある足のきかない人がすわって いた。彼は生まれながらの足なえで、歩いたことがなかった」 使途14:8
ルステラで、パウロが御言葉を語っていた。その時に、生まれつき 足のきかない男性が、丁度座っていて、パウロの語る御言葉にじっ と耳を傾けていた。彼は、生まれた時から一度も歩いた事がなく、 自分の足に関して、何もどうする事もできなかった。完全に無力の 状態だった。自分で何もする事ができない。だからこそ、「自分の 足で、まっすぐに立ちなさい」とのパウロの言葉にすがりつけた。 自力で出来ないからこそだった。彼にとっては、この言葉が真っ暗 闇の中の一筋の光であり、唯一の望みだった。彼は、信じて賭けた。 この言葉がすべてであり、無力だからこそ、そうできた。その信仰 に神の力が働き、奇跡が起きた。全く歩いた事のない彼が、飛び上 がり歩き出した。もし自分で何かが出来るなら、あちこちと方策を 探り回り、自分で何とかしただろう。 私たちは、頼らなくても、自分で出来てしまうので、主に頼らない。 自分で生きて行く。自らの無力を知る時こそが、信じる時だ。何の 方策も無く、信じるしか道がない。その時にこそ信仰が働く。自分 の力、方法に頼っている限り、自分を信頼しているので、主への信 仰は難しい。信仰半分、自力半分というのは有り得ない。幾ら御言 葉があっても、必ず自分の力、方法でやって行く。 信仰とは、御言葉だけを頼りに、自分を任せて行く事だ。それゆえ、 自らの無力を知る事が、実は大きな祝福であり、幸いだ。無力に落 ち込む事など無い。 ----------------- 落ち込むとき、恐れが来るとき、必ず握っている御言葉に頼り祈れ る。弱さを知っている事は感謝だ。弱さを覚える度に主を近く感じ る。何と実り豊かな歩みだろう。