2025年08月04日(月)

「今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。 わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ」出エジプト3:10



出エジプトを導いたモーセは、地上の誰よりも謙遜だったと記され
ている。謙遜とは、人前で、腰を低くする事ではない。口では「い
えいえ私などは」と下座に座るが、心では自分こそがふさわしいと
思っていたりする。謙遜とは、自分が無力であると知り、何も出来
ない事を認め、主に拠りすがる事だ。モーセはそのような人物だと。

しかし以前のモーセは違った。パロの娘に拾われ、王宮の王子であ
るモーセは、地位、名誉、財、力、人脈の何もかもを所有していた。
ちやほやされ、文武両道で有能だった。そのため自信満々で、自分
こそ同胞を救うと、40歳で行動を起こすが、同胞の理解は得られず、
荒野に逃亡する事に。

荒野で、モーセは一介の羊飼いとなった。華麗な王家から荒野の羊
飼い、この落差にモーセはどうだったろう。称賛、栄誉、栄光の将
来、何もかも失った。その荒野こそで、モーセは主により、砕かれ、
練られ、へりくだった柔和な者へと造り変えられた。主は、モーセ
を間に合う器と整えるために、下へ下へとへりくだらされた。

モーセは、40年後、民の救出という偉大な働きのために用いられた。
主は、私たちを用いるために、砕かれる。今、もし荒野なら、主の
訓練の時だ。砕き、整えられ、主のために用いられる。へりくだっ
て、今の場で、主に従って行こう。
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主は試練を通して、用いようとする者を整えてくださる。主を信じ
て、一つ、一つ祈りながら試練を通ろう。小さく、低く、主に頼る
者にされてトンネルを抜けたい。