2026年04月03日(金) 「モーセは、民が乱れており、アロンが彼らをほうって おいたので、敵の物笑いとなっているのを見た」出エジプト32:25
「モーセは、民が乱れており、アロンが彼らをほうって おいたので、敵の物笑いとなっているのを見た」出エジプト32:25
モーセがシナイ山に上ったその間、モーセは不在となるが、神がわ からなくなってしまった民は、何とアロンに偶像の神を造るように 頼んだ。周囲の民と同じように、目に見える偶像の神を求めたのだ。 人間は目に見えない神よりも、肉眼で見える、形のある神を求める。 それは、木や石や金で造ったいわゆる偶像の神だが、しかしそれだ けでなく、金銭、仕事、趣味、人、名誉や地位、人からの賞賛・・も 偶像になる。目に見えない神を信頼できず、確かな手応えのある、 目に見えるものを求める。アロンは、モーセを助けるためにそこに 置かれた。だから、モーセ不在中の出来事に際し、主からの力を受 け、民を治めるべきであった。 ところが民の言いなりになってしまった。アロンは鋳物の子牛の像 を造り、彼らは「これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあな たの神だ」と言い、礼拝した。主はモーセに「すぐ降りて行け。民 が堕落してしまったから」と。神の栄光を現わすべき聖なる民が、 神でないものを崇め、礼拝し、神を辱めてしまう。 私たちも、目に見える彫像は拝みはしないが、心の奥で、神よりも 大切にしているものは、どうだろう。神よりも愛し、神よりも信頼 しているもの、それが偶像だ。「このむさぼりが、そのまま偶像礼 拝なのです」と、偶像礼拝は、心の欲望、貪欲にあると。心の内は どうだろう。主ご自身で、心満ち足らわせて下さる。求めて行こう。 -------------- 目に見える手応えがあるうちは気づかないが、無くなると喜びも失 せ、また次を求めてしまう。心の内の偶像は何だろう。主が与えて くださる喜びは、試練の中でも変わらない。主に求めよう。