2004年05月03日(月)

「ところが、取税人は遠く離れて立ち・・こんな罪人のわたしをあわれんでください・・この人が義と認められて家に帰りました」(ルカ18:13)



 パリサイ人は他人々のようでない事を感謝しますと祈って、罪赦されぬ罪人のまま家に帰った。神は外側は見られない。心を見られる。その動機を見られる。自分は何事にも一生懸命に取り組み頑張って生きて来た良い人間と信じている人々が時々いる。外側は綺麗に形造っていても、その心の内はどうだろう。その人自身も外側を見ているだけであって、自分の内を見るならどうだろう。高慢、嫉妬、偽り、虚栄心、プライド、様々な欲。良い人などととても言えたものではない。サタンに欺かれてはならない。良いどころか、醜い陰険な罪人だ。それを認める時、取税人のように罪赦され、心を真っ白にされる。自分の内側を聖霊の光に照らされるよう祈れ。
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正直に自分の内側を見る事が出来ないのはなぜだろう。何かやれば少しはましになったとすぐに自己満足し高ぶる。へりくだって聖霊様の光によって現実を見つめる事できますように。高ぶりから守られますように。