2004年10月03日(日)

「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう」(詩編118:24)

神は、私達が今日この1日を、喜び楽しむ事を願っておられる。しかし、私達は不安や心配、思い煩いで押しつぶされそうになる。又、過去の失敗にくよくよして、時を過ごす。パウロやペテロは罪のとがめから解放されていた。罪の記憶が消えたのではない。記憶はあるが、神が完全に赦して下さった、その赦しに堅く立ったのだ。あなたには忘れられない罪があるか。忘れられなくても、十字架の血潮の赦しに堅く立て。悔い改めたなら、完全に赦されたのだ。尚もうじうじする事は、十字架への冒涜だ。将来の不安があるか。神に委ねよ。神が心配して下さっている。過去と未来に生き、今を生きる事をさせない。これはサタンの大きな攻撃であり誘惑だ。過去でも未来でもなく、今日1日を生きよう。明日は委ねて、この1日のみこころを行おう。今日の荷は必ず負える。
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過去にくよくよし、未来をひたすら思い煩い、現在を見事に無駄にし、つぶしてしまう。冷静に考えると愚かだが、サタンの罠にかかってしまう。今日1日の荷は負える。負える分だけが与えられている。が、明日の荷が加わるとと、負いきれない。明日は委ねて、今日を喜んで感謝して生きよう。