2005年03月03日(木)

「今の時の、軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです」(Uコリント4:17)



私達は皆、必ず試練に会う。悲しみと苦しみというヤスリで研がれる。そのヤスリがあたると痛い。必ず痛い。しかし、それは私正児ではない証拠だ。よその子供を訓練はしない。神が我が子と言って下さるのは何という幸せ。平穏無事に暮らしている中に突如として試練は臨む。いつもそうだ。驚き慌てず痛いが受け止めることが大切。磨かれるのは痛い。とがったプライドや膨らんだ虚栄心、自我が砕かれるのは苦しい。しかし、主以外に自らの拠り所を置いているなら、必ずそこに臨まれる。愛する人、富、物、名誉、地位、体面・・なんであれ、偶像をはっきり明らかにされる。そのままにしておくと、神から離れてしまうからだ。練りきよめられ、不純物を取り除かれる。
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試練の時、私のどの部分に神様が臨まれているのか、自分の何を神様に差し出すべきなのか、じっくり考えてみよう。状況ばかりに目を取られがちだが、神様が教えようとしておられる事に目を向けて行くことが大切だ。