2001年05月04日(金) 「善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは神に喜ばれることです」(Tペテロ2:20)
「善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは神に喜ばれることです」(Tペテロ2:20)
不当に扱われた時、自分を守り、反撃したいと思うのは 当然である。しかし、侮蔑されても穏やかに振舞うなら、 それはキリストのような応答である。神は私達の中にこの 特異性を育みたいと望んでおられる。 事が思い通りなら穏やかでおれる。「悪意ある人に騙され 踏みつけられても動揺してはいけない。好きにさせよ。 神のみこころを求め行え。神に目を留めよ。神は苦境が 人生に起こるのを許される。それはあなたの益のためだ」 不当な扱いに対してキリストのように応答して行くなら、 心配や不安、悲観主義は、冷静で安定した精神、希望へと 変えられて行く。 自己防衛に急ぐのはなぜか。それは自分の権利に価値を置 き心地よく過ごしたいという願望による。常に自己の権利 を擁護したくなる欲から、癒されるように