2006年05月03日(水) 「いちじくの木は花を咲かせず・・しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。 私の主、神は、私の力」ハバクク3:18
「いちじくの木は花を咲かせず・・しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。 私の主、神は、私の力」ハバクク3:18
ハピーな時は誰でも喜べる。しかし、ハ バククが喜んだのは、実りなく、何の収 穫も無い、完全な絶望状態の時であった。 なぜ喜べたのか。「主にあって」「救い の神にあって」とあるように、環境、状 況で喜んだのでなく、神にあって喜んだ のだ。私達も、現状が真っ暗であり、先 も真っ暗であったとしても喜べる。神に 焦点を当て続けるのだ。神はどんなお方 かよく考えよう。益とされる(ローマ8 :28)平安と将来と希望の計画(エレ ミヤ29:11)しようとしている事を ご存じ(ヨハネ6:6)ご自分の御子を さえ下さったお方(ローマ8:32)良 くして下さらないわけがない。状況を信 じるのでなく、神を信じるのだ。状況か ら目を転じて「御言葉」を反すうし、凝 視し続けよう。御言葉には霊といのちと 力がある。御言葉により、恐れが平安に 変わるのを経験する。 ・・・・・・・・・・ いつも状況と御言葉の二つが目の前にあり サタンは状況を見せ、落胆させ、目を神か らそらせる。肉はそちらに反応する。しか し、御霊は御言葉に立つよう導く。そこに は必ず喜びと平安があって、希望がある。