2006年10月04日(水)

「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」ピリピ4:4

私達は何を喜んでいるだろうか。神の下さ
る祝福、神の与えて下さるものを喜んでい
るか。与えられるものに目を留めているな
ら、もし、それが与えられない場合に、必
ず不平不満に陥る。自分の思い通り、願い
通りにならなければ、反抗するし、神を疑
ってかかる。すぐに不信に陥る。今まで何
度も経験あるのではないか。あなたがいつ
も目を留めているのは、神の下さる祝福だ
ろうか。どこまでも祝福を追うばかりで、
どれだけ与えられても決して満足しない。
それは与え主である神ご自身を求めていな
いからだ。私達が喜ぶのは、祝福ではなく、
祝福の与え主である神だ。神ご自身を喜ん
で行くなら、自分の思い通りにならなくて
も、又、もし願ったものが与えられなくて
も、失望する事は無い。決してない。あな
たの信仰態度はどうだろう。弟息子のよう
に、父ではなく、父の財産を貰って喜んで、
父のもとを離れて行くだろうか。何を喜ん
でいるか、心を探ってみよう。
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強く願ったものが、与えられなかった時の
心の態度はどうだろう。常に目を留め心を
占めているのは「与えられるもの」だろう
か。それではなく、永遠に変わらない「与
え主」の方を求めて行こう。