2007年06月03日(日)

『「わたしに何をして欲しいのか」すると、盲人は言った。「先生、見えるようになることです」』マルコ10:51

バルテマイは、主に「わたしに何をして
ほしいのか」と問われ「目が見えるよう
になることです」と明確に答えた。彼は
盲目ゆえ、社会生活が出来なかった。当
時は今のような充実した福祉など無く、
物乞いで、人からの憐れみで生活してい
た。人の手がなければ何一つできない、
まるで生けるしかばねだ。それは惨めで、
辛くて、哀しくて、プライドが何と傷つ
く人生であったろう。これらの苦しみ、
すべての根、原因が、目が見えないとこ
ろから来ていると理解していた。それで、
その解決を主に求めた。私達も様々な悩
み、困難が色々な形で表面に表れて来る。
しかし、その問題の本当の原因はどこに
あるのだろう。いつも同じような状況で
トラブルを起こすなら、自分の内に何か
の誘因があり根がある。特定の状況にな
った時に心がざらつくなら、そこに何か
解決の必要なものが潜む。自分の心の奥
にあるプライド、虚栄心、体面・・何に触
れるのか。何が原因なのか。欲が潜んで
いる。同じような場面で起こるトラブル
は、相手でなく環境でなく、自分に問題
がある。そこを主は解決して下さる。
「わたしに何をして欲しいのか」と問わ
れる主に、「〜〜です」と明確に答えら
れるように、まず祈ろう。
・・・・・・・・・
主は「何をして欲しいのか」と問うて下
さる。「〜をして欲しいです」と答える
ためには、自分を直視して真実に自分の
状態を知る事が必要だ。ふたをしたり、
あいまいにしていたら答えられない。