2007年11月03日(土)

「自分にも言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。』と言いなさい」ルカ17:10

ある人が、主の愛に応えて、主がどん
なに素晴らしいかを、職場で証しした
いと願った。心に願いはあるのに、ど
うしても出来ない。語る勇気が無い。
話す事を恐れる自分がいる。又、どう
語っていいかがわからない。毎日、そ
うしたいと願いつつ出来ないまま日が
過ぎた。思いはあるのに、勇気が無く、
いつしか人を避けてしまっている自分
に気づいた。主がこんなに自分を愛し
て下さっているのに、申し訳ない。心
悶々が膨らみ、主の御前に出た。ある
がままを主に申し上げ「ごめんなさい、
出来ません、助けて下さい」と心のま
まを祈った。そして祈り続けていた数
日後、突然、職場の主任が「○○さ
んはクリスチャン?」と話しかけて来
た。びっくりし、聖書、教会の事、自
分の信仰の事等色々話せて、そばにい
た同僚も加わって来て、話が盛り上
がり、何と証しが出来たのだ。翌日
にはトラクトも渡せた。祈りに答えられ
た事、自分でなく、神がされた事がわ
かり、感謝が溢れた。弱さの中に働か
れる神に触れ、喜びで一杯になり、御
名を崇めた。弱くなくて、強ければ、
自分の力で出来たなら、必ず自分を
誇ったに違いない。しかし、心から「役
に立たないしもべです」と認める事が
できて、喜んで神にのみ栄光を帰し、
神の御名をたたえる事ができた。主に
頼る時に、自分ではなく主に栄光を帰
して行く。
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神の力は弱さの内に、完全に現れる。
いつも「できません」を喜んで下さり、
そこに御力を現して下さる。何と肩の
力の抜ける恵みのまっただ中だろう。
あるがままを認めて行けば良いとは。