2008年01月04日(金)

「それから、彼は高き所の宮を建て、レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命した」T列王12:31

イスラエルはヤロブアムを全イスラエ
ルの王としたが、しかし、ヤロブアム
は、王国はダビデの家に戻るだろうと
危惧した。それで、エルサレムに戻る
必要の無いよう、金の子牛を二つ作り
ベテルとダンに安置した。そして、自
分で、一般の民の中から祭司を任命し、
ベテルに常住させた。自分で勝手に考
え出した月に祭りの日を定め、祭壇で
いけにえをささげさせた。「神が」で
なく「ヤロブアムが」「自分で」偶像
を造り、「自分で」祭司を任命し、
「自分で」考えた日にいけにえをささ
げさせた。その祭司が、執り行う内容
自体は全く同じかも知れない。外側か
ら見れば、何も変わりない。しかしそ
れは、神の御心でなくヤロブアムの心
であり、神の意志でなく、ヤロブアム
の意志が行われ、成し遂げられるとい
う事だ。根本的に違う。私達も、自分
が軸にあり、自分のための神であるな
ら、信仰も、神も自分のためであり、
無意識に、自分に都合の良い御言葉を
選んで、神の御心と思い込み気づかな
い。自分でも従っていると思っている
ので、気づけない。自分の思い込んだ
御言葉が成就しなかった時、よく探っ
て頂こう。神は起こる出来事一つ一つ
を通して、更なる成長に導いて下さる。
間違っているなら矯正して下さる。正
される機会だ。自分のための神から、
神のための自分へと変えて行って下さ
る。感謝しよう。
・・・・・・
「自分が、自分が」と自分の思いが強
くなると、神のみ思いを取り間違って
しまう。主語を神にして「神は」私に
何を望み、何を求めておられるのかの
視点に立ち、神の私へのお心を求めよ
う。その時、主と一つだ。