2008年02月02日(土) 「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちにすがたを変えられて」Uコリント3:18
「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちにすがたを変えられて」Uコリント3:18
時々「どうせ、私なんてだめで〜」と いう人がいる。しかし、心を屈折させ ているのであって、素直に自分の弱さ を認めているのではない。その証拠に 「ほんと、あなたはだめよねえ〜」と でも言おうものなら、大変な事態にな る。つまりは、「自分がだめなのでは なく、自分を認めない、評価しない周 囲が悪い」と言っている。自分を正当 化し、人を、周囲を責めて、相手のせ いにする。人のせいにしていると、自 分を見なくて済む。自分を直視しなく て済む。そうやって現実から逃げてい る限り、自分の成長は望めない。もし 成長したいなら、ありのままの自分か ら逃げず、目をそむけず、直視する事 だ。真実の自分だ。それをきちんと見 て、認識する事によって、自分は変え られて行く。成長に際して、自分が変 えられる事に際して、いつも自分の現 状の姿を、弱い醜い姿を主は認めさせ られる。それなくして、変えられよう がない。自分の弱さは誰しも見たくな いし、余りにも惨めで認めたくない。 しかし、虚構の自分にいる限り、信仰 の成長はあり得ない。「これが自分で す」と認める時、同時に、きれいな自 分でなく、汚れた醜いままの自分を極 みまで愛して下さっている神の愛がわ かる。今まで自分自身が妨げて見えな かった、溢れる恵みが見えて来る。 ・・・・・・・・・・ 自分の弱さは見たくないし、目をそら していたい。余りにも惨めだからだ。 惨めで認められない。だが、へりくだ って認めるからこそ、このまま愛して 下さっている神の愛が見えて来る。大 きな祝福を経験する。