2008年05月04日(日)

「女は隠しきれないと知って、震えながら進み出て、御前にひれ伏し、すべての民の前で・・話した」ルカ8:47

            
12年間も、長血を患った女性がいた。
律法によって不浄とされ、礼拝への参
加もできなかった。肉体的に、精神的
に苦しみ、又、経済的にもあらゆる医
者にかかり破綻状態だった。先に何の
希望もない。どんなに辛く苦しい絶望
の極限状況だったろう。主の着物にで
も触れば、癒されるのではと求めた。
それは必死の思いであり信仰であった。
なぜなら、不浄ゆえ、まず他人に触れ
る事はできないはずであり、にも関わ
らず主に触れようとした、諦めない、
屈しない信仰であった。信じなければ、
触りなどしない。癒された彼女は誰に
も知られずに、密かに去ろうとした。
しかし主は、「わたしにさわったのは
誰か」と捜され、どうあっても隠しお
おせないと悟った彼女は、進み出て、
皆の前で、事の次第を話した。人の後
ろに隠れ、人混み紛れ込み、おどおど
していた彼女が主の御前に、皆の前に
出て、語ったのだ。彼女の口からはっ
きりした信仰の告白を引き出そうとさ
れた。なぜなら彼女には信仰があった
からだ。彼女を光の中に出し、信仰を
告白させ、その信仰を確かなものとし
て下さった。私たちはどうだろう。と
にかく主の示しに応答することだ。今、
あなたも何かの示しを受けているか。
その示しにはっきり意志を向けて従お
う。    
・・・・・・・・・
主には明確な意図があられ、女性に対
応された。信仰をはっきりとさせて下
さり「安心して行きなさい」。身体の
癒しと共に心に全き安心が来た。どん
なに嬉しく平安だっただろう。常に主
の示しは、私たちの最大の益のためだ。
今日も示しに従おう。