2009年05月03日(日)

「主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください・・救いは主にあります」詩編3:7

ダビデは、バテシバとの姦淫の罪、ウリヤ殺害の罪を悔い改め、完全に赦された
が、自ら蒔いたものは、刈り取らねばならなかった。

実子アブシャロムが、自分に歯向かい、謀反を起こした。ダビデにとってどんな
に痛い、辛い事であったろう。

他でもなく、自分の子供が敵対して来るなど、どんなにか苦しく、心裂かれるよ
うな痛みであったろう。

彼は、武力により、鎮圧しようと思えば出来たが、そうせずに主に委ねて、自分
が去り、戦いにならぬよう、逃げる道を選択した。

祭司ツァドクとエブヤタルも、契約の箱をもってエルサレムを出ようとしたが、
ダビデが止めた。

理由は、「主の恵みにかなうならば、私を連れ戻して下さるだろうし、もし主が
心にかなわないと言われるなら、その時も私に、主が良いようにして下さる」。
それで、彼らはエルサレムに帰り、とどまった。

ダビデは、罪を犯す以前の、信仰によって歩むダビデだ。自分で自分を守ろうと
せず、自分でどうにかしようとせず、自分に関する事を、すべて主に委ねている。
ダビデの信仰だ。

そして、武力で立ち向かうのでなく、神のもとに行き、神に頼り、祈り、神に求
めている。

「私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えて下さる・・私
を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない」。
私達も問題が起こる時、なすべき事は、自分で動かず、まず主に呼ばわる事だ。

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ダビデは苦しみや痛みの中で、主に告げ、主に訴え、主に叫び、主に心の内の思
いや感情をことごとく知って頂いた。そして指針を求め、判断を求め、助けられ
た。目の前の問題、心の痛みを、まず主に告げよう。「聖なる山から答えて下さ
る」