2009年07月04日(土)

「人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった」マタイ14:20

              
あなたの心に、諦め思考が無いだろうか。
「私が少しぐらい証しして、何になる」「こんな微々たる献金、焼け石に水、し
てもしなくても同じだ」「私ごときのあるかないかの祈りなど無駄だ」「聞かれ
るわけがない」「どうせ、私など役に立たない」「大勢の未信者の中で、私一人
が何になる」

ふっと心に湧いて来ないか。サタンのささやきだ。「無駄だ」「そんな微力」あ
の少年が、幼稚園のお弁当ぐらいの微々たるものを、何になると、主のもとに献
げなければ・・

少年は「用いられる」という大きな喜びを経験できなかった。又、皆もこの奇跡
を見る事は出来なかった。

神は全能の力を持っておられる。「パンが5つと・・ほかありません」そんな事は
承知しておられる。「それをここに持って来なさい」と言われている。

これが何になる、その微々たるものを、私が何が出来ようと思う、そのあなた自
身を、神のもとへ持って行くなら、神はその献げられたあなたを用いて奇跡をさ
れる。

神が働かれる。どんなに微少であろうと、小さかろうと問題でない。神は大いに
祝福され、あなたは満ち足り、又、人々も満ち足りて、満腹する。あなたは、周
囲の祝福の器と用いられる。
臆せずに主に献げよう。「神にとって不可能なことは一つもありません」。

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主はどんなに小さなものでも用いて下さる。微々たるものだとしても、心から献
げるなら、それを用いてみわざをして下さる。心を込めて、持てるものを、又、
無力な自分自身を主にお献げしよう。人々の満腹のために用いて下さる。