2009年09月02日(水)

「あなたのお嬢さんはなくなりました。なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう」マルコ5:35 



信仰の妨害物とは何だろう。「遅すぎる」、手遅れということだ。もうダメだ。神の時と、私達の時はしばしば異なる。ヤイロは病の娘のために、主に家に来て頂く途上、妨害が入り、中断を余儀なくされた。

長血の女性が主のもとに来た事で、手間取ったのだ。するとそこに使いが来て、娘は亡くなったと告げた。遅かった、手遅れ、もうダメだと。しかし、主はヤイロを覚え、即、「恐れないで、ただ信じていなさい」との言葉をかけられた。

神の「時」がある。すべてが主の主権の中の出来事。主に遅延は決して無い。恐れないで信じていよう。ラザロの時も、主は、病気の癒しよりも遙かに大きな、よみがえらせるとのご計画を持たれ、時を待たれた。
時が満ちるまで断固動かれず、そして、主の栄光を現わされた。遅れではない。

それは主の定められた「時」であり、栄光のためだ。主が語られた御言葉を握っていよう。信じていよう。「恐れないで、ただ信じていなさい」の言葉にすがりつき、そこに立つことだ。その信仰の通りになる。

そして世の言葉「なぜ、この上先生を煩わすことがありましょう」を心に入れず、聞き流すべきだ。否定的な言葉から不信仰、疑い、不安、恐れが心に生じる。
世の言葉、肉の言葉、サタンの語りかけを拒否しよう。受け入れてはならない。聞き流すべき言葉がある。
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サタンの言葉は、いつも神様に頼るより自分で動けと言ってくる。祈り信じて待つことを奪って行く。この声を聞き流すためには、しっかりと御言葉を握っていなければならない。
一日の初めに、御言葉を読み、常に祈り、目覚めていよう。