2009年11月02日(月)

「あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である」詩編62:8


ある人が、高度成長期の企業戦士として働いていた。深夜帰宅の、早朝出勤、仕
事にどっぷり浸かり仕事一筋の生活だった。ひたすら営業成績を上げることを目
指して、懸命に、身を粉にして働いた。

その人が、昔、教会へ行っていた事もあり、そんな人生途上で神に出会い、救わ
れた。そして、人生を献げた時、牧師になるよう導かれた。大変な方向転換であ
ったが、神学校卒業後は、地方の片田舎へ開拓宣教に出かけた。

田舎という事もあり、なかなか救われる人は起きなかった。思うように宣教活動
が進まず、悶々とする中、根深い培われた古い価値観がむくむくと出て来た。サ
ラリーマン時代の価値観がよみがえった。

営業成績がすべてであり、出した結果で、自分のすべてが量られ評価された。自
分はダメ人間、落ちこぼれとの思いが来る。又、そういう風に思う事は間違って
るとの思いが、また自分を責め、自己嫌悪に陥る。

苦しい状態の中、救われたのが、神との交わりに目が開かれて行った事だった。
それまでは寸暇を惜しんで動き回っていたが、ひたすら神の御前に静まって自分
の悶々の心の内を、気持ちを言い表して行った。

御前に、焦り、不安、思い煩い、苦しみ、ことごとく主に打ち明けた。そうした
時、混乱した、ほころびた心が、主によって静められ、整えられ、何にも代えら
れない、静かな平安に満たされて行った。あなたも、今、心を御前に注ぎ出す時
だろうか。

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人は動いていると安心し、何かをしていないと不安になったりする。満たしが欲
しくて動き回る。しかし、真の満たしは、動き回る事でなく、ぶどうの木である
主にとどまるところから来る。主と親しく交わり、不安や苦しい気持ちを打ち明
けよう。そこから平安が来る。