2009年12月03日(木)

「私はキリストとともに十字架につけられました」ガラテヤ2:19


ある女性の夫は、完璧主義者で、細かく几帳面だった。日々、家の隅々まで点検し、ほこりやゴミの指摘、掃除の仕方に文句を言う。料理など、不満だらけだ。味付けから、料理方法、その欠点を一つ一つ指摘する。

彼女のする何もかもが夫の気に入らない。やがて、彼女は夫の顔色を見ながら、神経質になり、常にビクビクし、生活に喜びが全く無くなった。

そんな時、隣の男性が荷物を持ってくれた。彼は大変親切で、気遣いをしてくれ、いつも助けてくれた。彼といると心は喜びと安らぎで満ちた。この人が夫だったら良いのに。今の夫と離婚したいが無理だ。どうしたらいいのか。

夫が死ねばよい。死ねば夫婦の契約解除になる。しかし夫は強健で死にそうになどない。これがローマ7章で言っている事だ。

夫が律法で、妻が私だ。いつも律法に要求されて、責められて、しかし実行できず苦しくてたまらない。律法が死ぬ事はあり得ない。律法はずっと存続する。

唯一の方法は、律法が死ぬのではなく、妻の方が死ぬ事だ。妻が死ぬと夫から解放される。死により、夫婦の契約解除になる。

これがキリストのして下さった事だ、私はキリストと共に十字架につけられて死んだ。私は律法に対して死んだ。律法から全面的に解放されているとは、何たる喜び!
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正しいはずの律法に反応しながら反発して行く。そんなとても不自由な生き方しか出来なかったのに、主が十字架で流された血潮によって、肉はもう死んだ。主と共に生きる新しい生き方を神様は与えて下さった。この恵みを無駄にしてはいけない。